佐々木大輔×平出和也
  • ブルーレイ発売記念 スペシャル対談 佐々木大輔×平出和也

  • デナリ 大滑降 完全版

    銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ ディレクターズカット版

「デナリ 大滑降 完全版」、「銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ ディレクターズカット版」のブルーレイ同時発売を記念し、デナリを登って滑った佐々木大輔さんと、それを撮影し、その後シスパーレへ向かった平出和也さんが、冒険とはなにか、自然との向き合い方について、語ります。

佐々木大輔

episode1

大雪山での出会いから、被写体、撮影者として

  • 佐々木初めて会ったのは、大雪山だったね。平出くんは撮影の仕事で、僕はガイドの仕事で同じ時に居合わせたんです。ちょうどその頃、「利尻大滑降」(デナリの前段のフェイズとなる撮影)の話が持ち上がっていて、「興味あるかなあ?」と尋ねたんだよね。厳冬期の利尻山を大滑降する映像、これを撮れるのは、僕のなかでは平出くんしかいなかった。山に登れて、滑れて、強くて、僕が干渉する必要はなく、すべて一人でやり遂げられる、そういう力をもった人だから。彼がベストだと思っていましたね。
  • 平出いまになって振り返ると、当時の僕はまだまだ駆け出しでした。けれど佐々木さんが誘ってくれたことは、とても嬉しかったし、僕にできることがあるはずだと思って、二つ返事で引き受けました。
  • 佐々木たしか2011年、もう7年も前のことだね。
  • 平出もちろん会う前から、佐々木さんの名前は知っていました。僕は以前、ムスターグアタ(7546m、中国新疆ウイグル自治区)に登りに行きましたが、その準備のときに、佐々木さん達のムスターグアタのレポートを読んだんですよね。「なまらナントカ」(なまら癖-X)というチーム名が印象的で、僕の周りにはない雰囲気だなあと、独特のオーラを感じたんです。よくよく読んでみると、彼らは登頂できなかった。けれどものすごく楽しそうなんですよね。僕のなかでは、ピークに立てなかった登山というのは、やっぱりどこかで納得できないもの。この人たちは自分とは違うな、という印象が強かったですね。佐々木さんに対しては人種が違う、彼は天才肌なのではないか、と思っていました。その印象は、デナリの撮影を終えても変わりません。僕も、ムスターグアタやチョ・オユー(8201m、中国チベット自治区)からスキーで滑ったけれど、それを軸にすることはない。やっぱり僕は登る人間ですね。
  • 佐々木スキーヤーとクライマーは、全然雰囲気が違うよね。スキーヤーは軽いかな。それに僕は、スキーだけでもない。小さな頃から登山への憧れがあって、山に登りたい人でもある。平出くんは登山家だけれど、僕はごちゃまぜ派。憧れのデナリの大きな壁を滑りたい、せっかく登るのだったらカシンリッジから登りたい、好きな仲間達と行きたい、あれもこれも欲張りなんですよ。
  • 平出それを賑やかにやることができる人ですね。黙々と歯を食いしばってやるのではなく、仲間を集めて、楽しめる雰囲気を作り出せる人。僕がやるとそういう登山にはならない。だからこそ、自分にはない魅力もあり、面白かったです。また、自分の登山を見つめる機会にもなりました。
  • 佐々木今後の、山との向き合い方とか?
  • 平出なんでこんなにがんばって登っているのだろう。自然体だったつもりだけれど、もっと自然になれるのかもしれないと思いました。一方で、この雰囲気に自分がどっぷり染まっていくには、ちょっと危機感もありました。
  • 佐々木僕自身がごちゃまぜ、ミックスだけれど、それだからこそ、集まってもらったメンバーもミックス。山の人がいて、スキーの世界の人がいて、僕にとってはそれが面白い。バックグラウンドはまったく違うけれど、僕は、みんながそれぞれの力や考えを発揮してくれることに期待をしている。そして、僕のやり方になんとか着いてきてくれるから、それに助けられていますね。
     平出くんが言うこともわかりますよ。僕たちには楽観主義的なところがあって、「ダメならダメで仕方ないよ」というスタンスもある。でも、「やるからには全力を尽くそうよ」と思っています。
     面白かったよね。カシンリッジで平出くんは少しでも上へ上へいこうとする。残りのメンバーは全員、「ココでいいやー」という。僕はもちろん休みたいけれど、プランとしてはもう少し先に進まなければと考える。けれど、平出くんがいうところまでテントを持ち上げるのは、その先の安全マージンを取りすぎているのではないかと思って、結局いいところで落ち着いていたように思います。逆に、もし平出くんがいなかったら、ほかのメンバーに流されて、どんどん遅れていたかもね。
  • 平出色んな人がいるから、色んな意見が出る。それを全部聞いたうえで、判断するのは佐々木さん。そして、カメラマンもガイドも信頼できる人たちを、配置していましたね。
     でも、出発前は不安も大きかったです。はたしてこのメンバーで登れるのか。僕は加藤直之さんと組んでいたのですが、僕たちは、佐々木さんたち3人とは別のチームとして、自分たちの安全を守ろうと考えていました。僕にしかできない仕事だと思って引き受けたけれど、仕事として関わるだけだと、死んでしまうのではないか。僕は登山家としての立ち位置もしっかり作らないとダメだと思いました。自分の意見も言えるようにしたいと考えました。
  • 佐々木結局僕たち3人と、平出くんと加藤さんのぺアは一蓮托生だったけれど、平出くんのそういう気概は感じていました。

episode2

撮影者という立場を越えて、冒険の同志として言いました

  • 佐々木カシンリッジ登攀から南西壁滑降へとつなげるのは容易ではないことは、わかっていました。けれど成功させるためだけに、パートナーを選ぶという発想はなく、僕は昔からの仲間を誘ったわけです。体力があって意欲もある狩野恭一、体力はないけれどいちばん気心の知れている新井場隆雄。新井場とは昔から夢を語り合って、一緒に山登りをしてきた。そのなかにはデナリもあった。それに僕には、クライミングパートナーはふたりしかいないんです。20代の頃一緒に登ったヤツと、ターちゃん、新井場ですね。「ああ、自分のパートナーなんだ」って思えるのは、このふたりだけ。だから、新井場と狩野と3人で行くというのは、まったく自然なことです。
     じつは数年前、同じルートを加藤さんから誘われたんです。でも僕にはそのとき自信がわいてこなかった。そんな経緯もあったし、アラスカで登山を始め、デナリ国立公園のレンジャー経験もある加藤さんには、平出くんのサポートとしてカシンリッジに同行してもらいました。
     勝算は10~20%ぐらいだったのでは。なにか起きたら、無事に帰ってこられない可能性も半分ぐらいはありましたね。それは登りというよりも、滑降の部分。スキー滑降は不確定な要素が多すぎます。狩野は基本、「ついていきまーす」という精神、新井場は「行ってみてから決めるよ」と言っていました。
     カシンリッジはすごく楽しかった。登り出したら、そこには自分とカシンリッジしかない。没頭できる。これがやりたかったんだって思いました。
  • 平出カシンリッジ最終日の登りのとき、佐々木さんの一言がチームの雰囲気を変えたと思いますよ。「なにを、のろのろやっているんだよ」とほかの人たちに向かって叫んでいましたね。
  • 佐々木寒さ、疲れ、それに高度の影響もあり、皆の集中力が切れていたんでしょうね。あの日の朝は、-34℃でした。地吹雪があり、風が相当強くて、体感温度は-70度ぐらいではないかと。これは限界。けれど、これ以上ここに残ってもダメだし、脱出しなければと意を決して、向かいました。
  • 平出登りの最終局面で、新井場さんがへたり込むようなことがありましたね。僕はこのあと、新井場さんはほんとうにスキーができるのだろうか。佐々木さんはリーダーとしてどういう判断を下すのだろうかと考えながら、あのシーンを撮影していました。
  • 佐々木あそこまでいけば、リーダーというよりも、各々ががんばって、それぞれがやりたいことを尊重するという気持ちです。それぐらいの判断はできるだろうと、信頼もしています。実際には、滑落してしまうのですが。
  • 平出僕と加藤さんは、滑落のことをまったく知らなかったんです。自分たちの持ち分の撮影が終わってホッとし、佐々木さん達は時間がかかっても、滑降をやり遂げるだろう、ベースで会えるだろうと思って下っていました。キャンプ4に着くと、佐々木さん達がいて、「なんで?」と。それに、滑降は中止になり、撮影も終わりだというムードでした。そのとき僕は思わず、「諦めないでほしい」と言ったのです。
  • 佐々木撮影チームと僕たち3人は別だという考えが、僕にはあったから、新井場のことは僕たちで下ろさなければと思っていました。その後、新井場が、なんとか自力で歩けると言い、撮影チームもサポートしてくれる雰囲気になってきたんです。けれど、僕のスキー滑降の再開の後押しをしてくれたのは、平出くんの言葉です。
  • 平出僕たちの共通の仲間である谷口けいさん(2015年12月、北海道黒岳にて死去)、彼女もデナリが大好きだった。彼女がはじめて自分の登山をした場所でもあり、カシンリッジは何度も諦めることになったルートです。けれど生きていたら、いつかきっと登っただろう彼女に、カシンリッジを見せてあげたかった、というのが僕の気持ちでした。
     死んでしまって、もう挑戦できない人もいる。けれど僕たちは生きている。「まだできる」と佐々木さんに言いたかった。撮影者としては、客観的でいなければいけない。被写体の冒険や生き方を左右するようなことを言ってはいけないと思うんですよね。パートナーであれば言ってもよいけれど。けれどこのとき僕は、撮影者という立場を越えて、僕も佐々木さんと同じように冒険をする人間として、言ったんだと思います。
  • 佐々木「世の中には、やりたいと思ってもできない人がいるんですよ」と平出くんは言っていました。その言葉は、僕の背中を押してくれました。けれどそれは、一般論を言っているのだと、現場では思っていました。じつはそうではなかったということ、平出くんのいうほんとうの意味は、あとになって、平出くんのインタビュー記事を読んで知りました。
  • 平出佐々木さんに向けたその言葉が、のちに自分に返ってくるんですけれどね……。ところで最後に、セスナの到着を待っている間に撮った集合写真(上掲)。僕だけが笑っていないんですよ。僕ひとりが暗い表情をしていることに、メンバー達も気づいていたようです。
  • 佐々木すでにもう、心ここにあらずだったんでしょう。平出くんの体はいたけれど、もうこのチームから、気持ちは離れていき、シスパーレに向かっていた。今度は、シスパーレの話を聞かせてよ。

平出和也

episode3

危険に巻き込まれない位置に、自然と立っているんだよね

  • 平出僕にとって、撮影の仕事は「最高の特等席」なんです。本物の冒険や人の生き様、山への取り組み方を、目の前で見せてもらえる。普通は、映像を通して観るものですから、僕の経験はとても貴重です。そして、それが自分の登山に活きてくることもあります。
     だから、デナリがなかったらシスパーレもなかった、と思っています。シスパーレの登山中、さまざまな局面で、デナリでの色んな経験が大きな影響を与えてくれました。
  • 佐々木シスパーレは、相当大変な挑戦なんだろうなあと思っていました。過去の挑戦の記事を読んで、雑誌で山の写真もみていました。ギリギリの世界で、なにかを突き抜けていかないと成功し得ないのではないかと。平出くんが高所で強いことは知っていたけれど、カシンリッジで自分が思うように自由に動いて撮影していたのとは、まったく違う次元のところへ踏み込んでいくのだろうと、想像していました。身体はできている、けれどそれだけではいけない世界。自然環境、山のコンディション、色んな要素があるけれど、それらも越えたところにあるなにかがないと、登れない。それは、危険な領域に踏み込まないと成功しない、ということですよね。だから、無事に帰ってくるのかなと……心配とは違うのだけれど、思っていました。がんばってもらうしかないと思い、気にかけていました。
  • 平出先ほど話した、デナリの集合写真です。見事にみんな笑っているのに、僕だけが笑っていない。タルキートナに着いてから皆で写真を見ているとき、「あれ。平出、笑っていないじゃん」という声が聞こえてきたんですよね。自分ではわかっていたけれど、周りも気づいていたんだ、と思いました。ちょっと普通の精神状態ではなかったんでしょうね。あのとき、笑顔を作れるぐらい余裕があったらよかったのですが。
  • 佐々木僕たちはデナリの余韻にひたっていたけれど、平出くんは、もうここには居なかったんですよね。この仕事は終わった、気持ちは次に向かっていた。そういう雰囲気がありました。僕自身もそうだった。デナリのプロジェクトに向かって、ものすごい集中をしていた。だから平出くんのことがよくわかった。そして、それほど集中しなければならない冒険なんだろうなあと思っていました。
  • 平出実際に映像を観て、どうでした?
  • 佐々木相当ヤバいクライミングだね。こんなのを何回もやったら、絶対にダメでしょう。家族を持っている人がやったらダメだよって思いました。僕もこういう厳しい登攀に憧れることもあったし、デナリの滑降もそうだったけれど……。平出くんも僕も、リミットを越えているね。いっちゃっている。南西壁の滑降は、不確定要素がとても大きかった。それと同じように、シスパーレのクライミングは次に何が起こるかわからない、そんな世界に飛び込んでいっている。
     まあ、運だよね。自分ではいけると思っていても、上からなにが落ちてくるかわからない。天気も読めない。行き詰ったときにはもう戻れないだろうし。どうにもできない状況にも踏み込んでいく。そういう勝負どころなんだろうなあと感じました。
  • 平出運の部分もあるけれど、僕自身、危険を察知しているところもあります。
  • 佐々木雪崩が起きそうだから、ちょっとこっちを歩いておこう。そうすれば万が一雪崩が起きても、最悪の事態にはならないとか、そういう場面のことだね。健郎(パートナーの中島健郎)が登っていて、氷の塊が剥がれ落ちたときも、それ以前になんとなく危機感をもっていて、ビレイの位置を変えていたんだろうね。映像にはなっていないけれど、デナリ南西壁で僕の足元から雪崩が落ちたときがあって、その時その雪崩に巻き込まれないような位置に、僕は自然と立っていたんだよね。
     敏感に危険を察知するアンテナを、平出くんも僕も持っているのだと思う。僕もそれについては、ある程度の自信があります。これまでやってくるなかで身についてきたとしか言えないけれど、僕も平出くんも似たような感覚で、突っ込んでいき、なにかあかったらヤバいけれど、自分のもつ細やかな感覚を活かして、なんとか生き延びるような、そんな感覚なんだろうなあと思います。
     それには、壁に向かってものすごく集中しなければならないと思います。そういうスイッチを入れられる人なんだとも思います。僕も滑る斜面に立てば、どんな状況でもスイッチを入れられる。集中することができるんです。それはエキストリームスキーヤーとして世界を転戦していたときに身に着けた僕の強みだと思っています。平出くんも、これまでいろんな山を登ってきたなかで、スイッチを入れることを知ったのでしょうね。

episode4

仲間の死に接し、応援してくれる人を得て

  • 佐々木健郎とは、どんなトレーニングを積んできたの?
  • 平出国内でトレーニングらしいことをやる機会はほとんどなかったけれど、前年にルンポカンリ(7095m、中国チベット自治区)に登れたことが、大きな手がかりとなりました。北壁のど真ん中をダイレクトに突き上げる新ルートを開拓しました。ふたりでこれをやり終えて、シスパーレもいけるのではないかと思ったのです。それ以前にも、アピ(7132m、ネパール)や仕事でカカポラジ(5881m、ミャンマー)にも登っているので、お互いのことはよくわかっていたと思います。前年の1月に四川省にアイスクライミングに行ったのも、大きかったですね。
  • 佐々木あのときの語りが、映像にも出てきますね。平出くんの思いが込められているけれど、あの時点では健郎は、その内容を知らないんですよね?
  • 平出そう、健郎はあの自撮りの場にいなかったから、知りませんね。けれど、僕のことはよく理解してくれたと思いますよ。パートナーの死に直面して、山が怖くなった。二度と登れないかもしれないとすら思っていた。正直、四川省へ行くことも取りやめたほうがよいのではないかとも考えていたんです。けれど、ここで一歩踏み出さなければ、もう僕は二度と山に戻れないと思ったんです。実際に四川のアイスを登ってみて、怖くて怖くて、アックスをもつ手が震えたし、登れないこともありました。そんな姿を健郎は知っている。それは、僕にとって精神的に大きなことでしたね。
  • 佐々木色んな場面を共有してきたんですね。そうでないと、あれほど不確定要素が多い、大きな壁に突っ込んでいくことはできないでしょう。
  • 平出パートナーシップというのは、相手によって変わりますね。健郎との関係性と、かつてたくさん一緒に登ったけいさんとのそれは異質です。健郎の登る姿をみていると、以前の自分を思い出すんですよね。先陣切って登っていかなければ満足しない。だったらいま僕は、その環境を作る役目に徹してもいいのかなと思えるようになりました。パートナーが自由に登れる環境を作ることも、自分の役目なんだろうと。
  • 佐々木僕は欲張りだから、山にいる時間すべてを楽しみたい。せっかく仲間といるのだから、仲間と一緒に楽しみたい。そしてもちろん登りたい。けれど平出くんは違う。山に登りに行くのだから、それに集中するというスタンス。だからそのときのパートナーの重要性というのも、僕とは違った意味になるのでしょうね。
  • 平出デナリで誕生日を迎えたでしょう。そのときなけなしの材料でホットケーキを作ってくれましたね。とても嬉しかった。チームメイトのそんな思いやりに接して、今年はどういう一年にしようかと考え、悶々としました。「亡くなった人のことを背負って挑戦していきたい」と僕は、思っていました。四川省のアイスクライミングは辛かったけれど、だから歩き出せました。
     けれどデナリに行く前に、エベレストで撮影していたとき、ウーリー・ステックが滑落死しました。ウーリーであっても、あっけなく死んでしまう。とてもショックでしたね。彼とはいろんな山で出会い、短い時間だったけれど一緒に過ごしました。また僕は、この人たちの死も背負わなければならないのか。ウーリーだってさぞ無念だっただろうと考えこんでしまいました。けいさんのことは背負うと言ったけれど、実際に背負いだしたら、いったい何人を背負わなければいけないのか。けれど、誕生日のとき、「自分ひとりで背負うのではない。応援してくれる人が増えたんだ」って思えるようになったんです。それぐらいの気持ちでいいんだと、そんなことに気づかされたんです。
  • 佐々木平出くんは、色んなことを考えるね。
  • 平出それだけではありませんよ。シスパーレでもまた、天候不順に悩まされていました。できない理由、サミットプッシュに出ない理由を作るのは簡単。けれどそこで諦めてしまってよいのか。僕にとっては15年目、4度目のシスパーレだったんです。ベースで沈んでいたとき、デナリで僕が佐々木さんに向けた言葉が、蘇ってきました。「世の中には、やりたいと思ってもできない人がいるんですよ。諦めないでほしい」と、僕はあのとき佐々木さんに言ったけれど、それは佐々木さんに言うことを介して、自分自身に投げかけていた言葉なのではないかと、思ったんです。
     佐々木さんは自分自身のことを、ごちゃまぜ派とかミックスとか、だから余計なものがついていて不純にみられるときもあると言うけれど、そんなことないと思います。デナリ南西壁の滑降を終えたとき、佐々木さんは、「冒険への門戸は、すべての人に開かれている。そして僕は冒険をする人でありたい」と言ったんです。僕はこの言葉を、よく覚えています。見事な挑戦を見せてもらった。そんないいものを特等席で見せてもらって、今度は僕ががんばらなければ、と思ったんです。だから、シスパーレの山頂に至ることができたのではないかと思っています。そのことを、これまで佐々木さんに言ってはこなかったけれど、いつか会えたら、お礼を言いたいと思っていました。

episode5

自分がやってきたことを、肯定したいだけ

  • 平出佐々木さんがデナリから帰っていて、完全燃焼しているって伝え聞きました。やっぱりそうなんだ、と思いました。僕もそうだったんですよね。15年間思い続けたものが果たせて、燃え尽きた。だからいまは、立ち止まるべきときなのかなあと思っています。
  • 佐々木正直にいうと、最近まで「なんであんなことをやったのかな」ってずっと思っていた。冷静になって映像を観ると、「アウトでしょう」って思う。人間としてやっていいのか。各地で報告会をしたけれど、「こんな危ないことは、やってはいけない」と言う人もいて、「そうだなあ」と思ったり。
  • 平出僕も、そうですよ。
  • 佐々木1年近く経って、最近になってやっと気づいたことがあるんです。ずっと山に憧れて、植村直己さんにもデナリにも憧れてきた。二十歳で山岳ガイドの世界に入って、これまでやってきた。そのことを、ただただ自分で肯定したいだけなのではないかと。難しい話ではない。これまでやってきたこと、積み重なってきたこと、昔から思っていたことをやっているだけ。それが今回、こういう形になっただけなのではないかと。自分が強い気持ちをもってやってきたことを、肯定したいだけなんですよね。
     ただ、家族がいるという部分ではやりすぎたかなと思います。この時すでに3人の子どもがいました。末っ子の長男は、デナリに行く前年に生まれるのですが、いま振り返ると、僕はデナリに集中していて、息子のことがいまほど目に入っていなかったんですよね。デナリが終わって、息子と遊ぶようになって、“キュン死”していますよ。
     デナリから1年経ってみて、満足しましたね。いまだったらもうやらない。家族を大切にしたいと思うようになりました。やり終えたから言っている点もあるけれど、デナリの前と後では、人間として大きく変わったと思います。
  • 平出僕は、ちょっと違いますね。子どもがひとりのときにシスパーレを登り、つい数日前にふたり目が生まれて、もっと登りたいな。家族がいるからこそやりたいな、と思いました。
  • 佐々木それはたぶん、こういうことではないかなあ。僕は一番下の男の子に、僕が登って滑っている姿を見せたいと思った。そしてそれがある程度できたのと同じで、平出くんももし子どもが4人ほしいと思ったら、その全員に見せたいと思うのかもしれない。
     それにしても、15年目のシスパーレ、すごいね。僕も新井場たちとデナリの夢を語ったときから数えると、20年近くになるなあ。
  • 平出僕は5度目のシスパーレを考えているんです。いつか家族と一緒に眺めにいこう、と。今後、シスパーレを越えるものにはなかなか出会えないと思うけれど、それでも出会いたいですね。15年前、一畳分の大きさの地図を携えて、旅に出たときのように、今年はじっくりと偵察してきます。バルトロ氷河を歩いて、山々を眺めて、K2の北西面に入ります。
  • 佐々木僕も夢がないわけではないんですよ。チベットの東と呼ばれる地域にある山のことは、ずっと思っています。とんがった山、乾いた雪がたくさん降るところだから、きっといいと思う。いまは政治的理由で登ることは難しいけれど。
  • 平出40歳を前にして、あとどれだけ登れるだろうかと考えると、やり残したことがないようにって思うようになりますね。
  • 佐々木これまでやってきたことの集大成、やってきたことを肯定したいという気持ちの表れではないかな。ほんとうは、過去に固執するのはよくないのかもしれない。けれどそれが人間の性。どこかでバシッと切ることができれば、違うところへ行けるかもしれない。けれどそうはいかない。
     シスパーレを観て、泣いたよ。平出くんのシスパーレ、僕のデナリというように、人生の早い段階で、心の底から打ち込める存在に出会えたのは、幸せだったと思う。

文:柏澄子  
写真:知久聡史  
撮影協力:日比谷松本楼

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PROFILE

佐々木大輔 Daisuke SASAKI
1977年北海道生まれ。国際山岳ガイド。
高校卒業後、札幌にあるガイド会社ノマドの門をたたき、山岳ガイドの道へ。植村直己の本を読みあさり、憧れをもつ。ほぼ同時期に、三浦雄一郎&スノードルフィンズに入りスキーを本格的に始める。このとき出会った同世代の仲間が、一生のものになる。20代はエキストリームスキーヤーとして世界を転戦。エクストリームスキー日本大会優勝、同世界大会8位(1997年)など。30代は活動の軸足を山岳ガイドとする。若い頃からの仲間たちが集う「なまら癖-X」と、デナリ、グリーンランド、パタゴニアなどへ、スキーの旅を続ける。
平出和也 Kazuya HIRAIDE
1979年長野県生まれ。アルパインクライマー、山岳映像カメラマン。
大学山岳部の遠征隊に参加し、クーラカンリ(7381m、中国チベット自治区)初登頂以来、ヒマラヤに通い続ける。カメット南東壁(7756m、インド)に新しいルートを拓き、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドールを日本人初受賞。また、エベレストをはじめとしたヒマラヤ、ヨーロッパアルプス、そして国内の山々を舞台に人々の山への取り組みを撮影する映像カメラマンとしても活動。自身の登山、山岳映像の双方が評価され、2017年に植村直己冒険賞受賞。現在は、ICI石井スポーツ所属アスリート。