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信濃の一豪族でありながら、上杉、北条、徳川らの大名と伍して戦い過酷な戦国乱世を生き抜いた真田一族。
だがその陰には親と子、兄と弟をめぐる愛と葛藤のドラマがあった…。
「週刊朝日」に連載(1973~82年)された池波正太郎の長編大河小説を、金子成人(大河ドラマ「義経」)の脚本を得て完全映像化した名作シリーズ。
父や弟と袂を分かち険しい道を歩む信幸の苦悩を深みある演技で見せた渡瀬恒彦、武勇で知られる幸村を「漢」の魅力を湛えて演じた草刈正雄、謀略を駆使して諸将と渡り合う昌幸を圧倒的存在感で演じきった丹波哲郎…。まさに当り役の主演3人の名演と、大河ドラマに比肩する豪華配役。CGを駆使した「忍び」の格闘シーンなど数々の見どころで見る者を虜にした傑作時代劇!
【収録内容】
■第1回 『若武者たち』
甲斐の猛将・武田信玄が死して9年が過ぎた。天正10年(1582)3月1日。武田の宿将・真田昌幸は、嫡男・信幸、次男・幸村、重臣・矢沢頼康を前に、高遠城で織田信忠の軍勢に包囲されている武田勝頼を、居城である上州岩櫃城へ向かえることを決断する。
■第2回 『天魔の夏』
天正10年(1582)3月10日。勝頼が自刃して果て、武田家は滅亡。昌幸のもとに、真田忍びの頭領・壺谷又五郎から、織田信長が武田攻略で貢献した徳川家康に駿河の国を与え、滝川一益には上州沼田と信州小県、佐久、真田庄を与えるという密書が届く。
■第3回 『幸村初陣』
天正10年(1582)6月2日。天下統一を目前にした信長が、明智光秀の謀反のため本能寺で自害。その急変を聞いた昌幸は、滝川一益に渡した沼田城を争うことなく奪い返す。しかし、北からは上杉景勝、南からは北条氏政に攻め立てられ、家康を頼ることとなる。
■第4回 『角兵衛騒動』
天正11年(1583)秋。上杉景勝の麾下にある丸岩城の羽尾源六郎が、中棚の真田の砦に攻撃を仕掛けてくる。信幸は、従弟の樋口角兵衛を伴い初陣を果たし、羽尾勢から中棚を見事に取り戻す。羽柴秀吉と家康の対決が近いと悟った昌幸は、上田平への築城を急ぐ。
■第5回 『秘密』
天正11年(1583)初冬。昌幸は、愛妾・お徳を襲った角兵衛を砥石城の岩牢に押し込め、お徳を上州・名胡桃城に移す決意をする。名胡桃への道中、お徳を守る幸村は小姓の向井佐平次に、自分は信幸とは腹違いで山手殿の子として育てられたことを明かす。
■第6回 『出会い』
天正12年(1584)3月7日。家康は織田信勝を助けるという大義名分のもと出陣。秀吉も尾張の小牧へ軍を進める。家康は長久手において大勝利を治め、家康が敗れたら北条から甲斐の武田の旧領を取り戻すという昌幸の思惑ははずれ、真田は岐路に立たされる。
■第7回 『危急存亡の時』
天正13年(1585年)3月。上田城がついに完成した。しかし、家康は昌幸に使者を送り、沼田城を北条に引き渡すよう命じる。昌幸は家康との戦を覚悟の上、家康の命令を拒否。背後の敵である上杉景勝に和睦を求め、自ら上杉の本城・春日山城へと出向く。
■第8回 『上田城死守』
天正13年(1585年)8月2日。大久保忠世率いる徳川軍1万が上田城を攻撃。真田方は見事な軍略でこれを打ち破り、一躍武勇を天下に知らしめる。真田に援軍を送った上杉への人質として、幸村は春日山城に入るが、景勝は幸村を人質ではなく近侍として扱う。
■第9回 『華燭の宴』
秀吉と謁見した昌幸と信幸は、幸村を大坂に差し出すよう命じられる。昌幸は不義理を承知で、上杉景勝へ幸村の大坂出仕を申し出、景勝は仕方なく承知する。一方、上田城では信幸と家康の養女となった徳川の重臣・本多忠勝の娘、稲姫との華燭の宴が行われる。
■第10回 『惜別の章』
天正17年(1589)秋。秀吉は、北条を討つ口実を作るため、沼田城に偽の書状を送り、沼田にいる北条の兵に名胡桃城を襲わせようと企てる。それを知った昌幸は、迂闊に動けば秀吉にどんな咎めを受けるかわからないと、名胡桃城を見捨てる苦渋の決断をする。
■第11回 『小田原攻め』
名胡桃城は北条軍の攻撃を受けて落城した。天正18年(1590)正月12日。秀吉の出陣命令が各地の武将に出される。昌幸は約3000の兵を率い出陣。上杉勢、前田勢と合流し、北条の本拠地・小田原へと向う。秀吉は25万もの軍勢で小田原城を完全に包囲する。
■第12回 『沼田城主信幸』
天正19年(1591)春。伊豆守に任じられ、再び真田に戻った沼田城の城主となった信幸に、江戸の忠勝からの知らせが届く。秀吉が上田と沼田に朝鮮国へ出兵を申し付けるため、家康を通じて沼田の兵の割り当てのみ、数を減らすよう申し出よというものだった。
■第13回 『お江受難』
お江は、秀吉の御伽衆の一人で豊臣家の忍びの者を束ねる山中匠長俊の後をつけ、山中匠が徳川方の諜報網の総元締め、山中大和守俊房の甲賀の屋敷に入るところ目撃する。しかし、潜入を発見され、甲賀の忍び衆と熾烈な戦いとなり、深手を負う。
■第14回 『それぞれの道』
文禄元年(1592)1月。瀕死の傷を負ったお江は、亡き父・馬杉市蔵とともに武田家に仕えた甲賀忍びの田子庄左衛門に匿われていた。その頃、江戸では信幸が小松殿に子を授かったと家康に報告。初耳だと驚く昌幸に対し、家康は終止ゆとりと自信を見せる。
■第15回 『暗闘忍びの群れ』
文禄元年(1592)4月。庄左衛門とお江は甲賀からの脱出を試みるが、庄左衛門は山中忍びとの闘いで死亡。お江は間一髪のところを又五郎に救出される。一方、約15万の軍勢が集結する肥前名護屋城では、物見遊山の様相で毎夜宴が催されていた。
■第16回 『名護屋撤退』
文禄元年(1592)7月。秀吉の母・大政所が死去。一方、小松殿の姫出産の報告をまず家康にという信幸に、昌幸は秀吉に先に知らせるよう意見する。信幸は昌幸に、近頃の秀吉の様子を問い、秀吉の寿命が尽きた後、頼みは徳川家以外ないと思いを打ち明ける。
■第17回 『揺らぐ夏』
文禄4年(1595)初夏。関白・豊臣秀次が乱行へ走り、自害を命じられたうえ、首をさらされる。同時に処刑された秀次の正室は、山手殿の妹。昌幸は真田に火の粉が降りかかることを懸念する。又五郎はお江に、万一の時は幸村を大坂から上田に連れ帰るよう命じる。
■第18回 『秀吉死す』
慶長3年(1598)8月、病床にあった秀吉の容態が急変。家康以下五大老五奉行に、実子・秀頼をくれぐれも頼むとの遺言を残し、秀吉は死ぬ。お江は幸村に、豊臣家は大坂と伏見に政権が分かれ、家康と前田利家の和解がなるかが今後の鍵になると告げる。
■第19回 『春の嵐』
慶長4年(1599)2月末、大老の前田利家に諭され、家康は伏見城から退去。利家の死後、石田三成の奉行職を解いて隠居に追い込んだ家康は利家との誓約を破って伏見城に戻り、天下人への布石を打ち始める。
■第20回 『迷い道』
家康は前田、浅野らに謀反のぬれぎぬを着せて屈服させ、上杉景勝の討伐命令を下す。景勝は真田家の裏切りを許し、幸村に武将の心得を授けてくれた大恩のある人物。その上杉に槍(やり)をむけるのか…。昌幸や幸村、そして、信幸も痛恨の思いを抱く。
■第21回 『決裂犬伏の陣』
慶長5年(1600)、真田軍が上杉討伐に出陣。同じころ、隠居中の石田三成が上杉景勝と結託して打倒家康のために決起すると、大阪には続々と反家康派の大名が結集。毛利輝元を総大将として西軍決起との報を受けた真田昌幸は、景勝につき家康に反旗を翻す決意をする。
■第22回 『信幸懊悩(おうのう)』
あくまでも家康に従う信念を貫く兄・信幸は父・昌幸や弟・幸村と袂(たもと)を分かち、自ら真田謀反の報を家康に伝える。周囲が信幸に冷たい視線を向ける中、ただ一人、信幸の忠誠を信じて疑わなかった人物、それは他ならぬ家康だった。
■第23回 『故郷敵地』
慶長5年(1600)8月、中仙道を進む秀忠軍は道中にある上田城の明け渡しを真田昌幸に迫るため、信幸を使者に立てる。息子の勧めに従い明け渡しを承諾した昌幸は三日間の猶予を申し出る。だが、それは秀忠軍を上田に引き留め、関ヶ原への参戦を遅らせる昌幸の策略だった。
【出演】
真田 信幸(後に信之に改名)………… 渡瀬恒彦
真田 幸村 …………………………………草刈正雄
真田 昌幸 …………………………………丹波哲郎
真田の女忍び お江……………………… 遥くらら
信幸と幸村の徒弟 樋口角兵衛 …………榎木孝明
真田忍びの頭領 壺谷又五郎 ……………夏八木勲
真田の忍び 向井佐助 ……………………中村橋之助
幸村の小姓 向井佐平次 …………………木之元亮
信幸の妻 小松殿 …………………………紺野美沙子
昌幸の愛妾 お徳 …………………………坂口良子
昌幸の正室 山手殿 ………………………小山明子
徳川 家康 …………………………………中村梅之助
徳川 秀忠 …………………………………中村梅雀
豊臣 秀吉 …………………………………長門裕之
原作:池波正太郎
脚本:金子成人
音楽:林 光
タイトル題字:池波正太郎
制作:榎本一生
演出:大原 誠 ほか
○1985~1986年 放送
*ブックレット付
*DVD6枚組
*収録時間:1012分/画面サイズ4:3
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