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大河ドラマ 翔ぶが如く 完全版 第壱集 DVD-BOX 全7枚

商品番号:10932AA
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大河ドラマ 第28作 『翔ぶが如く』
新しい時代の幕開け、明治維新を生き抜いた二人の英雄たち西郷隆盛と大久保利通。幕末から明治を鮮やかに駆け抜けた英雄たちのドラマを描く。1990年放送・完全版第壱集。

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「英雄」「情の人」の西郷隆盛、「経世家」「理の人」の大久保利通。
ふたりの友情を軸に、新しい日本を創るために幕末から明治を駆け抜けた英雄たちのドラマを壮大なスケールで描く。


【収録内容】 前半(第1回~第27回)
薩摩国鹿児島城下で兄弟の如く育った西郷隆盛と大久保利通は、ある時は互いに手を取り合い、そしてある時は異なるやり方で薩摩藩を動かし、遂には明治維新の大偉業を成し遂げる。2人は揃って明治新政府に参画するが、いつしか不平士族などの問題で2人の意見は食い違っていく。そして遂に、西郷隆盛が唱えた「征韓論」を巡って衝突。西郷は下野し、袂を分かった2人は、時代のうねりの中で西南戦争へと駆り立てられていく。

■第1回 『薩摩藩』
弘化3年(1846)、「琉球にイギリス艦隊来航す!」との至急の知らせが、薩摩藩へもたらされた。ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に姿をあらわす7年前のこと。日本はまだ鎖国の深い眠りの中にあった。そんな中、江戸にあって英明の誉れ高い島津斉彬は、政治、国際情勢にも通じ、日本の危機をいち早く察知していた。斉彬は、琉球問題の処理を幕府筆頭老中・阿部正弘から委任され、鹿児島に帰国することになった。しかし、国元での斉彬の立場は不安定なものだった。次期藩主の座をめぐって、現藩主の斉興の側室・由羅が生んだ久光を推す一派と斉彬を推す一派が対立していたのである。藩の実権を握る久光派への反感が斉彬を支持する西郷吉之助や大久保正助ら下級武士を中心に広まっていった。こうした「斉興隠居、斉彬擁立」の動きと、藩の財政責任者・調書笑左衛門が斉彬によって失脚(服毒自殺)させられたことを知った斉興は、激怒し斉彬派の中心人物たちに切腹、遠島、謹慎といった重い処罰を下した。「高崎崩れ」といわれる事件である。これに連座して大久保家の当主・利世は遠島、正助は謹慎処分を受けた。しかし斉彬は、筆頭老中・阿部正弘の協力を得て、斉興を隠居させることに成功。43歳にしてようやく藩主の座についた。嘉永4年(1851)2月のことである。

■第2回 『新藩主 お国入り』
嘉永4年(1851)5月、新藩主として薩摩入りした斉彬は早速、藩政改革に着手した。また、藩士に対して「良い意見が有るものは上申するように」と布告を出した。吉之助は、早速、農政のことや先の「高崎崩れ」に対する処置についての建白書を書いた。やがて斉彬から返書が届き、周囲を驚かす。さらに斉彬は、志あるものを江戸へ留学させるという方針を示し、薩摩の若者たちに希望と活力を与えた。

■第3回 『運命の女たち』
嘉永5年(1852)正月。新年を祝う西郷家に、新しい家族が加わった。吉之助のもとに嫁いできた俊である。斉彬は、鶴丸城で一門の年始を受けるが、今和泉島津家の娘・敬子に興味を引かれる。斉彬は敬子を別邸に呼び、養女になり江戸に行ってほしいと頼む。江戸への留学生選びが始まったが、吉之助は費用のことを考えると決心がつかない。上司からも「なぜだ?」といぶかしがられる。そんな中、吉之助の祖父、父と相次いで他界する。吉之助は留学生への応募を断念する。

■第4回 『黒船来たる』
将軍・家慶の病がにわかに重くなった。万一に備えて、密かに新門辰五郎ら江戸の町火消しの頭領たちは市中警護を命じられる。嘉永6年(1853)、ペリー率いる4隻の黒船が浦賀に姿を現し、幕府は大混乱に陥った。そんな騒動の中、将軍・家慶が病死した。斉彬は、鹿児島にいて、急ぎ対策を講じる。養女に迎えた敬子を公家の近衛家の姫にするなど、いよいよ幕政工作に動き出した。そして斉彬が江戸に向かうお供に、吉之助が選ばれた。斉彬直々の計らいであった。

■第5回 『江戸へ』
吉之助の江戸行きが決まり、西郷家は祝いの人たちでごった返していた。だが、正助の姿が見当たらない。「しばらく会えない」と言い置いて姿を消してしまったのだ。嘉永7年(1854)、ペリーが軍艦7隻を率いて再び姿を現し、通商条約の締結を迫る。打開策もない幕府は狼狽するばかりだった。吉之助が江戸へたつ前日、正助が西郷家を訪ねて俊に包みを渡した。出発の朝、吉之助が包みをあけると中には、たくさんの薬が入っていた。感無量の吉之助であった。

■第6回 『庭方役拝命』
江戸に着いてから1か月、吉之助は斉彬に呼び出される。斉彬は、ひれ伏す吉之助に庭方役を命じる。庭方役は、お目見え以下の身分の吉之助が面倒な手続き抜きに斉彬と会うことができる都合の良い役職だった。斉彬による吉之助の教育が始まった。同時に斉彬は、吉之助を諸藩の名士のもとにたびたび使いをさせ、吉之助の交流関係を広めた。そんな中、鹿児島では俊が流産。斉彬は原因不明の病におかされる。吉之助は滝に打たれ、斉彬の平癒を一心にいのるのであった。

■第7回 『篤姫お輿入れ』
斉彬の病も癒え、嫡子・虎寿丸と近衛家の姫との縁組みも決まった矢先、虎寿丸が急死した。斉興の側室・由羅の呪詛との噂がたち、吉之助ら江戸詰めの若い藩士らは、「お由羅さま、討つべし」と息巻くが、動きを知った斉彬に「藩を割る暴挙」と吉之助は諭される。吉之助は幾島とともに、篤姫の大奥入りの工作を命じられる。篤姫を将軍・家定の正室にした後、一橋慶喜を次期将軍にという斉彬の目論みであった。安政3年(1856)、ついに篤姫は家定の正室に決まった。

■第8回 『異変のきざし』
斉彬と老中・阿部正弘ら一橋慶喜擁立派に対して、次の将軍は紀州家からとする老中・井伊直弼が断固反対する。斉彬は薩摩への帰国途中、京都に立ち寄り、公家の近衛忠ヒロに力添えを依頼する。その帰り、斉彬は井伊の手先に襲われるが、吉之助たちの反撃で難を逃れる。3年ぶりに帰国した吉之助だが、家には後の姿が見えない。俊は、流産後の不健康を理由に自ら西郷家を去ったのであった。江戸では斉彬の盟友・阿部正弘が急死した。吉之助のもとに斉彬から江戸出府の命が出た。

■第9回 『大老・井伊直弼』
江戸へ向かった吉之助は、京都で僧・月照に会う。月照は吉之助に、紀州家を推す井伊一派に注意するように忠告する。江戸に出た吉之助は、幾島から大奥での紀州派の動きを聞く。幕府は、日米修好通商条約締結の勅諚をもらうために老中・堀田正睦が京に上る。さらに吉之助と橋本左内も連れだって京へ。そしてついに朝廷から、「次期将軍は慶喜に」との内意が出る。しかし、紀州藩主・徳川慶福を推す井伊直弼が大老に就任し、計画は頓挫。吉之助は鹿児島へ急ぎ、斉彬に出兵を訴える。

■第10回 『斉彬出兵計画』
斉彬は、幕政改革のために京都への出兵を決意。吉之助は島津の家紋が入った羽織を与えられ、京都、江戸での工作を命じられる。井伊直弼は、将軍・家定から密かに「次期将軍は紀州の慶福に」との承諾を取り付ける。さらに、井伊は朝廷の許しもなく日米修好通商条約に調印。それを抗議しに江戸にかけつけた徳川斉昭らに謹慎を命じる。そんな中、家定が急死。一橋派は斉彬の出兵に一縷の望みをかける。だが、斉彬も病に倒れ、安政5年(1858)50歳で急逝する。

■第11回 『大獄の嵐』
「斉彬、死す」の知らせを受けた吉之助は、絶望のあまり自らの命を絶とうとする。だが、月照は、死よりも斉彬の意思を継ぐべきだと諭す。月照の励ましで、大老・井伊への巻き返しをはかる吉之助。そして朝廷から斉昭らの処分を解くようにととの勅諚が出される。しかし、井伊は朝廷が政治に口出しすることに激昴。水戸藩や諸藩の改革派、志士、朝廷の弾圧に乗り出した。安政の大獄である。吉之助は幕府の追っ手をかわし、月照とともに薩摩を目指した。

■第12回 『吉之助入水』
薩摩に帰った吉之助は、月照をかくまってくれるように奔走するが、藩の重役らの態度は冷たい。さらに、斉彬の死後、旧体制に復した藩政府は、幕府ににらまれることを恐れ月照を追放処分にする。絶望した吉之助は、月照とともに海へ身を投げた。月照は絶命。一命をとりとめた吉之助は「わが運命を天にまかせる」と薩摩をあとにする。見送る正助は、久光への接近を決意する。

■第13回 『正助の流布』
正助は、久光が囲碁好きだと聞き、久光の碁の指南役である僧・乗願に弟子入りする。乗願を通じて、久光の好む書物の中に手紙をはさむなどして、徐々に「大久保正助」の名前を久光の頭に刻み込むことに成功する。奄美大島で失意の日々を送る吉之助は、島の娘・愛加那と出会い、心がなぐさめられる。大老・井伊の弾圧は強まるばかりだ。水戸藩士の間で「井伊暗殺」が計画され、誠忠組の若者たちも脱藩して京に上ろうと気勢をあげる。正助は、思いとどまるように説得する。

■第14回 『桜田門外の変』
久光の出した諭告書が功を奏し、誠忠組の脱藩騒動はひとまずおさまった。しかし、水戸浪士による井伊暗殺の計画は密かに進んでいた。万延元年(1860)3月。降りしきる雪の中、登城する大老・井伊の行列を水戸と薩摩の志士が、桜田門外で襲撃した。不意をつかれた井伊はあえなく絶命。「井伊暗殺」の知らせを聞いた久光は、小躍りして喜んだが、正助の直訴にもかかわらず、出兵には慎重だった。そのころ奄美大島の吉之助は愛加那を妻に迎える。

■第15回 『南国の女』
吉之助と愛加那の間に男の子が生まれた。一方、薩摩では、誠忠組の中でも過激攘夷論をふりかざす有馬新七らが、異国人襲撃を計画しつつあった。吉之助の弟・信吾もその一人だった。動きを知った正助は、彼らの突出を何とか止めようとする。その正助がついに久光の側近に抜擢され、名前も一蔵と改名、藩政府の中枢に就くことになった。やがて、京都出兵、藩論分裂の危機など、問題山積の藩には信望厚い吉之助の力が必要と痛感した一蔵は、久光に吉之助の召還を願い出る。

■第16回 『吉之助 帰る』
出兵の勅許を得るため、一蔵は京都に上がった。しかし、頼みの近衛公は及び腰である。そんな中、天皇の妹・和宮と将軍・家茂との婚儀が決まった。こうした公武合体の動きの一方、諸藩の脱藩浪士たちによる討幕の流れは沸とう寸前であった。薩摩も例外ではなく、有馬新七らが脱藩、京都へ向かった。薩摩に戻り久光の前に呼ばれた吉之助は、出兵計画の不備を次々に指摘。久光の不興を買う。出兵は延期され、吉之助に下関での情報収集が命じられた。しかし、吉之助は独断で入京。久光は吉之助の捕縛、殺害を命じた。

■第17回 『同士討ち』
吉之助に対する久光の怒りをしずめることは不可能と判断した一蔵は、密かに吉之助を須磨の海岸に呼び、潔くここで刺し違えようと刀に手をかける。状況を察した吉之助は、藩の将来を一蔵に託し、捕らえられて薩摩に送られる。久光が兵を率いて京都に入った。薩摩の脱藩組も京都伏見に潜入して、決起の機会をうかがう。彼らの爆発を恐れた久光は、誠忠組の中から鎮圧の使者を送るように命じる。文久2年(1862)、大山格之助らは寺田屋に向かうが、説得に応じない有馬らと斬りあいになる。

■第18回 『公家攻略策』
寺田屋での事件は、「薩摩が幕府転覆を狙っている」と疑っていた幕府を安心させた。また、朝廷では、岩倉具視が薩摩藩を幕府に対抗する後ろ盾にしようとしていた。この機に幕政改革をと意気込む久光は江戸へ向かおうとするが、公家たちの許可が下りない。しびれを切らした久光は、側から遠ざけていた一蔵を呼び出し、朝廷工作を命じる。一蔵は岩倉を訪ね、多額の金子を贈り、久光の江戸入りの許可を取り付ける。国元に送り返された吉之助は、徳之島に流された。

■第19回 『異人斬り』
1千の兵を率いて江戸に入った久光は、勅使を通じて幕政の改革を促す。勅書は将軍の上洛と松平春嶽ら五名の大老職の任命を促すものだ。しかし、老中らは返事を引き延ばす。一蔵は一計を案じ、板倉、水野の二老中に力ずくで返事を迫り、勅書に従う旨の答えを得る。幕府が勅書に従ったことに満足した久光は、江戸をたった。帰路につく行列に馬に乗った英国人が割り込み、お供の侍が斬りかかった。徳之島では吉之助が愛加那と再会を果たす。しかし、間もなく更に南の沖永良部島への流罪があらたに命じられる。

■第20回 『薩英戦争前夜』
長州藩などによる朝廷への影響力を心配した久光は、一蔵を家老代行に抜擢し京都へ派遣した。しかし、長州藩の意をくんだ公家、三条実美が江戸城で将軍・家茂に上洛を命じる。一蔵はもどかしい思いで帰国する。そのころ沖永良部島の吉之助は、野ざらしの牢の中で衰えていくばかりだった。見かねた土地の役人は、吉之助を座敷牢に移す。将軍・家茂が上洛し、攘夷実行の期日を約束する。文久3年(1863)、薩摩に生麦事件の賠償を求めて英国艦隊が押し寄せ、一蔵は対策を一任される。

■第21回 『慶喜の裏切り』
英国艦隊と薩摩との砲撃戦がはじまった。城下は激しい砲火を浴びせられ、各所で火の手が上がる。武器の差を見せつけられた一蔵は久光に和睦を進言する。沖永良部島で戦争の様子を聞いた吉之助は、歯がみするばかり。急進的な尊王攘夷論を打ち出す長州藩が京都で台頭。一蔵は、京都守護の会津藩と組み、長州を京都から追放することに成功する。将軍・家茂に従い慶喜が上洛。政事を幕府に取り戻すため朝廷に攘夷を示そうとする。さらに慶喜は公家の前で久光を「愚物」と罵る。

■第22回 『燃える思い』
久光の公武合体策は、慶喜の策略によって暗礁に乗り上げる。難局を打開するには吉之助の力が必要と感じた誠忠組は血判状を示し、一蔵らと、久光に吉之助の赦免を願い出る。久光はしぶしぶ吉之助の帰藩を許す。一緒に流罪になった村田新八を伴い薩摩に戻ってきた吉之助は、弟の吉二郎に、「西郷家を守れ」と頼む。そして、あれこれと吉之助の世話をするいとを見て、美しくなったといってほめる。思わず鏡に見入るいとであった。数日後、吉之助は京都へ向かった。

■第23回 『竜馬と海舟』
元治元年(1864)、池田屋で討幕を謀っていた長州藩士が新撰組に急襲された。憤激した長州藩は兵を起こして御所の蛤御門に押し寄せたが、吉之助が率いる薩摩藩に撃退される。薩摩藩邸の吉之助を坂本竜馬と名乗る土佐浪士が訪ねてきた。竜馬は「薩摩と長州が手を組めないか」と提案する。慶喜に不信感を強める吉之助は、幕臣の勝海舟を訪ねる。海舟は、吉之助に幕府など相手にするなと説く。長州討伐の日が決まり、吉之助は参謀長として参戦。しかし全面戦争は避けようと紋服で、敵地を訪ねる。

■第24回 『新たな契り』
吉之助は、長州藩との講和を成功させ薩摩に戻った。その活躍から久光は、吉之助を側役に取り立て、嫁を迎えるようにと命じる。戸惑う吉之助だが、一蔵には思惑があった。翌日、一蔵と満寿は、いとの両親を訪ね、いとを吉之助の嫁にと頼む。慶喜が再び長州征伐を決めた。京都に上がった吉之助を坂本竜馬が訪ねてきて、「長州をつぶしてはいかん。薩摩と長州が手を組むことが必要」と訴える。吉之助は竜馬とともに薩摩へ急いだ。

■第25回 『薩長同盟』
長州征伐がはじまれば、薩摩藩として無視できない。吉之助と一蔵は、いよいよ薩摩と長州が手を結ぶしかないだろうと覚悟する。吉之助は寺田屋の竜馬を訪ね、長州の桂小五郎との調停を頼む。会談のため桂が、長州藩の代表として、幕府の目を避け京都の薩摩藩邸に入る。だが、お互いに面子にこだわり、条約締結の話を言い出せず、無駄に時間だけがすぎていく。それを知った竜馬は激怒し、「長州がかわいそうじゃないか」と吉之助を必死に説得。ようやく薩長同盟は成立した。

■第26回 『討幕への道』
将軍・家茂が病死したことで、慶喜が将軍に就いた。吉之助は慶喜に対抗するために、雄藩会議の設置を計画。しかし、慶喜は政権への強い執着を見せる。もはや武力での討幕しかないと決意する吉之助に、竜馬が大政奉還の奇策を持ちかける。一蔵は岩倉具視を訪ね、「討幕の密勅」を迫る。これに対し慶喜は先手を打って大政奉還を宣言。同じ日、討幕の密勅が下る。兵を挙げる口実を失った吉之助に竜馬が新政府構想を手渡す。それから間もなく竜馬は暗殺される。

■第27回 『王政復活』
大政奉還を宣言したものの、慶喜はまだ将軍にとどまっていた。薩摩から続々と藩兵が上洛してきた。岩倉具視は、密かに討幕の旗印である「錦の御旗」の準備をはじめた。薩摩と長州の兵が御所に入り、警護する中、御前会議が開かれ、王政復古が宣言される。慶喜に将軍を辞任し、領地を返還せよとの命令が下る。慶喜は恭順の意を示すが、配下のものたちは開戦の決意を迫る。そんな中、江戸の薩摩藩邸が江戸警護の兵に焼き討ちされる。口実を得た吉之助は討幕軍を起こす。

【出演】
西田敏行、鹿賀丈史、田中裕子、賀来千香子、緒形直人、佐藤浩市、林 隆三、樹木希林、角野卓造
富司純子、三木のり平、小林稔侍、加山雄三、竜 雷太、高橋英樹 ほか

原作:司馬遼太郎(「翔ぶが如く」「最後の将軍」「きつね馬」「幕末」「竜馬がゆく」「花神」「歳月」より)
脚本:小山内美江子

○1990年 放送

*DVD7枚組
*収録時間本編1201分/カラー

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