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証言記録 東日本大震災 DVD-BOX3 全6枚

商品番号:19423AA
販売価格 13,200円(税込)
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2011年3月11日。あの日何があったのか。人々は何を考えどう行動したのか。震災を様々な角度から記録する一環として被災者の“あの日、あの時”を証言でつづる。

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2012年1月より、NHK総合テレビで放送している「証言記録 東日本大震災」。
震災を様々な角度から記録する一環として、被災者の“あの日、あの時”を証言でつづる。


2011年3月11日。あの日、何があったのか。人々は何を考え、どう行動したのか…。
「証言記録 東日本大震災」は、未曾有の大震災に向き合った被災者たちの格闘の記録であり、鎮魂の記録です。家族を失い、生まれ育った地域を失い、その生き様を支えてきた文化さえも失ってしまった人たち。私たちは、この大震災にどう向き合えばよいのか、そこから何を見出していくべきか、「証言記録」は、それを考えるヒントを与えてくれるはずです。

■第13回 岩手県釜石市 ~津波で孤立した港町~
【収録内容】
岩手県南部に位置する釜石市は、製鉄所のある中心市街地の他に、入り組んだ海岸線に沿って20ほどの港町が点在している。そのひとつ箱崎町は、高さ11メートルの津波におそわれ、町に通じる道路が通行不能となり陸の孤島となってしまった。外部からの救援が期待できない中、箱崎では生き残った住民たちが力をあわせて対応した。住民たちは津波の翌日から重機を使ってがれきを撤去し、道路の復旧を始めた。また、がれきの中から見つかる遺体の収容も住民たちが自ら行った。それは皆、昨日まで一緒に暮らしていた仲間だった。自衛隊が本格的な捜索を始めたあとも住民の代表が立ち会い、遺体の身元確認を手伝った。立ち会いをした植田秀実さん(59)は「箱崎の犠牲者をすべて弔うまでは復興は始まらないと思い取り組んだ」と語る。津波で孤立する中、亡くなった人を家族の元に帰すために力を尽くした箱崎の住民たちの証言を紹介する。

■第14回 宮城県南三陸町 ~高台の学校を襲った津波~
2011年3月11日、宮城県南三陸町を襲った津波は、800人を超える人の命を奪った。志津川湾の南西に位置する戸倉地区には、20mを超える津波が襲い75%の家屋を水没させた。20mの高台にあり震災時の指定避難場所だった戸倉中学校の校庭にも津波は押し寄せた。中学校の校庭には学校の災害マニュアルに従って集まった生徒たちとともに近隣の住民が大勢避難していた。生徒60人を含む200人は思いもよらない津波に逃げ惑った。教師の菊田浩文さん(50)は同僚と共に老夫婦を救おうとして波に飲まれ、一人だけ生き残った。生徒たちは、水に沈む生存者を即席ロープで助けようとしたり、低体温症で生死をさ迷う男性に抱きついて温めたりして必死に救助活動を行なった。同僚を失い生きる気力を失いかけた菊田教諭は、教え子たちの姿が心の支えとなって、少しずつ生きる力を取り戻していく。安全と思われた戸倉中学校を襲った大津波。大きな混乱の中で教師や生徒は、何を思い、どう行動したのか。命を守るためのぎりぎりの行動とそれぞれの心の軌跡を記録した。

■第15回 福島県葛尾村 ~全村避難を決断した村~
東京電力福島第一原発から20キロ~30キロ圏内に位置する福島県葛尾村。地震の被害はほとんどなく、また、国からも県からも避難指示は出されていなかった。にもかかわらず、地震からわずか3日後に、全村避難を決定する。それは、原発事故を重くみた村による独自の判断だった。14日夜9時過ぎ、村は全戸に避難を呼び掛け、あわただしく村を離れた。しかし村には、その後も50人ほどが残った。その多くは畜産農家だった。手塩にかけて育ててきた牛をどうするのか、国からも県からもはっきりとした方針が示されず、畜産農家は追い詰められていく。絶望し、自ら牛を殺処分した農家、最後まで殺処分に抵抗した農家。全ての村人が村を離れたのは、およそ3か月後だった。全村避難した小さな村で何があったのか。その決断と苦悩を伝える。

■第16回 岩手県野田村 ~“祭り”を奪った津波~
岩手県北部、人口4800の野田村。人々は、山林と海に囲まれたわずかな土地に肩を寄せ合うように暮らしてきた。土地が狭く、主だった産業のなかった村では、長年、出稼ぎが人々の暮らしを支えてきた。
男たちの多くが故郷を離れて暮らす中、村の結束をはかってきたのが年に一度の夏祭りだ。子どもからお年寄りまで村人総出で行われる祭り。しかし、大津波は、村の人々が大切にしてきた祭りの山車をのみこんだ。祭りが育んだ人と人とを結ぶ絆。津波によってその絆を奪われた人々の証言を記録する。

■第17回 宮城県東松島市 ~指定避難所を襲った大津波~
日本三景、松島の東に位置する宮城県東松島市。大震災による死者・行方不明者は1100人を超え、家屋の全半壊は全住宅のおよそ3分の2にあたる11000棟以上に及んだ。あの日、避難所に指定されていた野蒜(のびる)小学校の体育館には、老人ホームのお年寄りや保育園の子どもたち、そして学校の児童およそ370人が避難していた。その体育館に大津波が襲いかかった。高さ3メートルの黒い水は体育館の中で洗濯機の渦のように荒れ狂い、30人近い地域住民の命を奪った。一方、たまたま校舎の3階に避難した住民は全員無事だった。なぜ多くの人々は校舎でなく体育館に避難したのか。そして、大津波警報があったにもかかわらずなぜそこにとどまったのか。元小学校教師や老人ホームの元職員、体育館で妻を亡くした遺族の証言から、野蒜小学校に集まった人々の一日を克明に追い、安全だと信じられていた指定避難所の悲劇を検証する。

■第18回 福島県飯舘村 ~逃げるか留まるか 迫られた選択~
東京電力福島第一原発から40キロの距離にありながら、深刻な放射能汚染にさらされた福島県飯舘村。1か月の間、政府からの避難指示はなく、村長の菅野典雄さんは村にとどまり、村民の生活を守ろうと尽力した。一方、幼い子どもをもつ母親たちは、放射能への不安を募らせ自主避難を決意する。しかし、公的な避難指示がない中で避難を続けることは難しく、次々に村に戻っていった。4月、政府から計画的避難の方針が打ち出された後も、菅野村長は事業所の操業継続を交渉するなど、住民の生活の基盤を残すために奔走。全村避難が完了するまで時間がかかり、原発事故から3か月たっても村内に残っている母親と子どもたちがいた。子どもの命を守るために逃げるのか、生活を守るためにとどまるのか。苦渋の選択に迫られ続けた小さな村の記録。

○2013年 放送

*DVD6枚組
*収録時間258分/画面サイズ16:9/ステレオ・ドルビーデジタル/カラー

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