【通販価格】
「うつけ者」と呼ばれた幼少期から、骨肉の抗争を経ての尾張統一、桶狭間で今川義元を討ち取り、日の出の勢いで天下統一への道を駆け登り、本能寺で生涯を終えるまでを描く。信 長役の緒形直人、豊臣秀吉役の仲村トオル、徳川家康役の郷ひろみというキャスティングが話題を呼んだ。
【収録内容】
■DISC.1 (176分)
第28回 『人の恨み』
信長が将軍家に代わって天下を動かそうとしていた1570年(元亀元年)冬、諸国の大名に将軍家上洛の供を命じるが、越前の朝倉義景ただ一人が上洛を拒んだ。朝倉の討伐理由を得た信長は越前遠征に出陣。しかし義弟である浅井長政の裏切りにより敗走を余儀なくされる。それから間もなく信長は軍勢を立て直し、長政の討伐に向かった。
第29回 『姉川の合戦』
1570年(元亀元年)6月。信長は浅井の小谷城下に火を放ち、横山城攻めを開始。そのさなか徳川家康が兵を率いて合流。対する長政にも朝倉景健の援軍が到着。ついに両陣営は姉川をはさんで対峙した。凄まじい遭遇戦となったが兵力に勝る織田・徳川軍の前に朝倉・浅井軍は総崩れ。長政は小谷城に逃げ帰り、信長は横山城の守りを藤吉郎に命じ兵を引き揚げる。
第30回 『死神』
1570年(元亀元年)8月、信長は三好三人衆の摂津野田・福島砦を攻撃。そのさなか朝倉・浅井軍は比叡山ふもとの宇佐山城を襲い、森可成や信長の弟・信治が討死。信長が援軍を送ると、朝倉・浅井軍は比叡山に逃げ込み陣を張った。伊勢長島では一向一揆で弟の信興が討死。祈祷師・随天は次々に起こる不幸は死に神「なべ」が原因と家老の林通勝に退治を迫る。
第31回 『比叡山焼き打ち』
信長が比叡山に「このまま敵方を保護すれば、延暦寺はことごとく焼き払う」と勧告してから二か月あまりの時が流れ、冬がやって来る。信長は、朝廷より和睦の勅命を取り付け、朝倉・浅井軍は比叡山から陣を退いた。翌年の1571年(元亀2年)9月、信長ヘの反旗を鮮明にする比叡山延暦寺の攻撃を決行。信長は「正義のため」と聖城・比叡山延暦寺を焼き払う。
■DISC.2 (176分)
第32回 『随天』
信長の前に比叡山800年の絶大なる権力は崩壊した。家老の林通勝は切腹覚悟で神仏を恐れぬ行動を諫言。しかし信長は「正義は、このわしにある」と聞く耳を持たなかった。随天は不吉な易が現れたと信長に進言。上洛を止まるよう説得した。その夜「この城に死に神がとりついている」という随天の言葉を裏付けるかのような不気味な出来事が起きる。
第33回 『信長包囲網作戦』
1572年(元亀3年)正月、信長の嫡男・奇妙の元服の義が執り行われた。その年の7月、信長は本格的な浅井攻めに出陣し、小谷城の目の前にある虎御前山の砦と雲雀山に陣を張った。そこに朝倉義景の率いる軍勢1万あまりが姿を現し、近隣には本願寺顕如が率いる一向宗門徒の一向一揆軍が結集。将軍義昭の思惑どおり、反信長勢力の包囲網が着々と進行していた。
第34回 『四面楚歌』
1572年(元亀3年)8月、武田信玄の上洛の動きに危機を察した信長は、朝倉・浅井に対する守りを藤吉郎に任せて本隊を岐阜に退いた。そして将軍義昭に十七箇条の意見書を差し出す。一方、武田信玄が率いる3万の軍勢は二俣城を落とした後も家康の浜松城ヘ進攻。浜松城から討って出た家康軍が三方ヶ原で敗れると、将軍義昭は信長討伐を宣言する。
第35回 『足利幕府滅亡』
武田軍の攻勢は続く中、 信長は将軍義昭ヘ和睦の使者を送る。しかし状況は一転。1573年(元亀4年)2月、武田信玄は病に倒れて退却。それを知らず、将軍義昭は立ち上がってしまう。武田軍の脅威がなくなった信長は直ちに京に向けて出陣。御所に火を放ち義昭に和睦を迫る。朝廷の仲立ちで一度は信長と和睦した義昭は再び拳兵する。しかし命運は尽きて無条件降伏。ここに足利幕府は滅亡する。
■DISC.3 (176分)
第36回 『浅井朝倉攻め』
将軍義昭を都から迫放した信長は、浅井長政の近江ヘ侵攻。小谷城の北にある山田山を占拠し、浅井と朝倉の連絡を絶った。一方、余呉・木之本に陣を張った朝倉義景の援軍2万は連絡のない長政を見限り退却を開始。信長は朝倉軍を追撃しながら越前になだれ込んだ。朝倉義景は家臣に裏切られ自害。近江に軍を戻した信長は小谷城を包囲する。
第37回 『天下を取る』
父の浅井久政の自害と朝倉義景の死を知った浅井長政は妻 お市と三人の子供たちを城外ヘ逃す。信長との最後の一戦に臨んだ長政だが万策尽き果てて自害。ついに越前・近江の平定した信長は次第を朝廷に報告し、堺の豪商たちを招いて茶の湯を開いた。戦勝祝いに訪れた朝廷からの使いに、信長は正倉院にある宝物の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を所望する。ついに信長は天皇までも動かそうとしていた。
第38回 『長篠の戦い』
次なる信長の狙いは一揆勢の殲滅であった。一向宗徒2万人が籠城する伊勢長島城に火をかけ、女子ども逃がすことなく皆殺しにする。1575年(天正3年)4月になると、織田方の拠点を攻撃して徳川家康の浜松近辺まで脅かしていた武田勝頼が三河の長篠城を包囲。直ちに出陣した信長は鉄砲隊を配置。銃弾の前に多くの宿将が倒れ、最強を誇る武田の騎馬軍団は織田・徳川連合軍に完敗する。
第39回 『家督譲与』
1575年(天正3年)夏。長篠で大勝した信長は大軍を引き連れ越前に乗り込み、一向一揆の徹底的な掃討作戦を展開。岐阜に戻った信長は新たな城を安土に築くことを決意して京ヘ上った。朝廷から「従三位権大納言」および「右近衛大将」の官位を授かった信長は天下を司るために隠居し、尾張・美濃の国主と岐阜城主の座を嫡男・信忠に譲る。
■DISC.4 (176分)
第40回 『夢の城』
琵琶湖を望む安土に隠居した信長は家臣たちに「大いなる夢あるように見える城にする」と壮大な築城構想を示した。そのさなか本願寺顕如を支援する足利義昭や毛利輝元、上杉謙信らの不穏な動きを察知。信長は一向一揆軍を石山本願寺に追い込み包囲する。そんな信長を訪ねた宣教師フロイスは新しき夢の教会完成を報告し、九州へと旅立つ。
第41回 『伴天連決行死』
1578年(天正6年)を迎えても石山本願寺の抵抗に手こずっていた信長は、一向一揆の動きを鎮めるためキリシタンの布教を奨励する。そんな折、上杉謙信が世を去り、信長は西へ兵を進めた。その隙に摂津国主・荒木村重が裏切り、高槻城主の高山右近も従った。都のキリシタンを人質に捕らえた信長はオルガティーノ神父とロレンソに高山右近の説得を命じる。
第42回 『悪い噂』
岐阜城下に「信長死去」の噂が広がった。噂の元を探ろうとする家老の林通勝に対して随天は「信長の行いが悪しき噂を生んでいる」と進言する。1579年(天正7年)5月、母るい、なべ、お市、随天らを呼び寄せ、天守閣から天下を望む絶景を披露する信長に岡崎の五徳から手紙が届く。それは岡崎城主の徳川信康と武田勝頼が内通していると読み取れる内容であった。
第43回 『家康の悲劇』
池田恒興は武田勝頼に宛てた徳川信康の書状を入手した。家康は敵か、味方か。それを確かめるため信長は林通勝に証拠の書状を携えて浜松の家康を訪ねるように命じる。岡崎城は御代の築山殿が牛耳っていた。家康は信康を岡崎城から出し大浜城から二俣城へと移し塾居謹慎を命じた。それでも信長の疑いは晴れず、家康は妻の築山殿を殺害。それを知った信康も切腹して果てる。
■DISC.5 (176分)
第44回 『余は神である』
1579年(天正7年)。家臣らの働きで反信長勢は次々に攻略され本願寺顕如は孤立した。信長は安土城内に自らを御神体とした摠見寺を建立。信長の誕生日を大祭とし、領国の者みなに参詣させる掟書を城下に立てるように命じる。自ら神を名乗ろうとする信長に、林通勝は「人は神になれませぬ」と諫言。怒りに震えた信長は自分の胸に小刀を刺し、林を家老職から外す。
第45回 『地球は丸い』
1580年(天正8年)。朝廷の講和勧告により本願寺顕如は去り、石山本願寺は火に包まれ、この世から消え去った。信長は林通勝に続き佐久間信盛を、漫然と過ごしたとして追放。翌春、フロイスは日本の布教活動を視察に来たヴァリニャーノ神父を伴い安土の信長に拝謁する。信長はフロイスらに同行する黒人を初めて見て驚き、献上品の地球儀を前に地球が丸いこと聞かされる。
第46回 『安土山神学校』
安土に神学校(セミナリオ)が完成した。お市から「摠見寺の御本尊となり、人々に拝めと言っているのは人集めのための方便」と本心を言い当てられ、動揺を隠せない信長。随天を呼び出し、摠見寺の話を口外していないか詰問する。傷を負った随天の足が腐っていることに気づいた信長は「古きもの腐らねぱ、新しきものは生まれまい」と言い、随天の足は切り落とされる。
第47回 『全国平定作戦』
信長のもとに滞在していたフロイス、続いてヴァリニャーノ神父が安土を去ることになった。信長は神学校の少年たちと安土城の屏風絵をヴァリニャーノに託す。そのころ羽柴秀吉は鳥取城を攻め、徳川家康は高天神城を落とし、遠江を掌中に収める。そして信長は嫡男・信忠を総大将として甲斐討伐に出陣。 追い詰められた武田勝頼は、妻子とともに自害して、武田家はついに滅亡する。
■DISC.6 (103分)
第48回 『キングオブジパング』
ついに朝廷は信長に将軍職を要請。そんな折、徳川家康が安土に赴くこととなり、明智光秀が馳走役を仰せつかった。家康饗応の最中、光秀は備中高松城を囲んでいる秀吉の援軍を命じられ、さらに近江滋賀と丹波を召し上げられ、新たに敵地の出雲・石見の二国を任すと命じられる。長引く戦いの日々に疲れた光秀の心に、傲慢な信長ヘの敵意が芽生えはじめる。
第49回 『本能寺の変』(最終回)
1582年(天正10年)5月29日、安土を出発し上洛した信長は、本能寺に入った。供は小姓たち2~30人あまりだった。一方、明智光秀は、備中ヘの出陣を待つ家臣たちを前に「これより出陣いたす。軍勢を都に向けて上様を討つ」と告げる。そして「あの者が葬れぱ天下も我らのもの。朝敵を倒して正義の軍勢となるのじゃ」と決意を表明。
1582年(天正10年)6月2日、早朝。信長のいる本能寺に一本の矢が放たれ、光秀の軍勢がなだれ込んだ。信長は弓で応戦するが多勢に無勢で劣勢は明らか。「これまでじゃ。光秀などに余の姿をみせてはならぬ」と、信長は寺に火を放つように命じる。織田家に長く仕えてきた随天は仁王ちして、信長のもとへ進もうとする敵を阻止。「余が最後にできる新しきことは、死ぬことかも知れぬ」と悟った信長は自刃し命を絶つ。大火の跡の本能寺からは信長の姿は見つからなかった。
信長死去の知らせを受けたフロイスは、「あの人らしい。 髪の毛 一本残さぬとは・・・」と、在りし日の信長に思いを馳せた。
【出演】
緒形直人、菊池桃子、高橋惠子、二谷英明、的場浩司、滝田 栄、鷲尾いさ子、若村麻由美、仲村トオル、中山美穂、高木美保、橋爪 淳、杉本哲太、田中 健、本郷功次郎、篠田三郎、マ イケル富岡、郷ひろみ、柴 俊夫、林 隆三、船越英二、宇津井健、芦田伸介、平幹二朗 ほか
原作・脚本:田向正健
音楽:毛利蔵人
○1992年 放送
*DVD6枚組
*収録時間本編983分/カラー
★〔なつかしの大河ドラマ〕特集ページはこちら★
「うつけ者」と呼ばれた幼少期から、骨肉の抗争を経ての尾張統一、桶狭間で今川義元を討ち取り、日の出の勢いで天下統一への道を駆け登り、本能寺で生涯を終えるまでを描く。信 長役の緒形直人、豊臣秀吉役の仲村トオル、徳川家康役の郷ひろみというキャスティングが話題を呼んだ。
【収録内容】
■DISC.1 (176分)
第28回 『人の恨み』
信長が将軍家に代わって天下を動かそうとしていた1570年(元亀元年)冬、諸国の大名に将軍家上洛の供を命じるが、越前の朝倉義景ただ一人が上洛を拒んだ。朝倉の討伐理由を得た信長は越前遠征に出陣。しかし義弟である浅井長政の裏切りにより敗走を余儀なくされる。それから間もなく信長は軍勢を立て直し、長政の討伐に向かった。
第29回 『姉川の合戦』
1570年(元亀元年)6月。信長は浅井の小谷城下に火を放ち、横山城攻めを開始。そのさなか徳川家康が兵を率いて合流。対する長政にも朝倉景健の援軍が到着。ついに両陣営は姉川をはさんで対峙した。凄まじい遭遇戦となったが兵力に勝る織田・徳川軍の前に朝倉・浅井軍は総崩れ。長政は小谷城に逃げ帰り、信長は横山城の守りを藤吉郎に命じ兵を引き揚げる。
第30回 『死神』
1570年(元亀元年)8月、信長は三好三人衆の摂津野田・福島砦を攻撃。そのさなか朝倉・浅井軍は比叡山ふもとの宇佐山城を襲い、森可成や信長の弟・信治が討死。信長が援軍を送ると、朝倉・浅井軍は比叡山に逃げ込み陣を張った。伊勢長島では一向一揆で弟の信興が討死。祈祷師・随天は次々に起こる不幸は死に神「なべ」が原因と家老の林通勝に退治を迫る。
第31回 『比叡山焼き打ち』
信長が比叡山に「このまま敵方を保護すれば、延暦寺はことごとく焼き払う」と勧告してから二か月あまりの時が流れ、冬がやって来る。信長は、朝廷より和睦の勅命を取り付け、朝倉・浅井軍は比叡山から陣を退いた。翌年の1571年(元亀2年)9月、信長ヘの反旗を鮮明にする比叡山延暦寺の攻撃を決行。信長は「正義のため」と聖城・比叡山延暦寺を焼き払う。
■DISC.2 (176分)
第32回 『随天』
信長の前に比叡山800年の絶大なる権力は崩壊した。家老の林通勝は切腹覚悟で神仏を恐れぬ行動を諫言。しかし信長は「正義は、このわしにある」と聞く耳を持たなかった。随天は不吉な易が現れたと信長に進言。上洛を止まるよう説得した。その夜「この城に死に神がとりついている」という随天の言葉を裏付けるかのような不気味な出来事が起きる。
第33回 『信長包囲網作戦』
1572年(元亀3年)正月、信長の嫡男・奇妙の元服の義が執り行われた。その年の7月、信長は本格的な浅井攻めに出陣し、小谷城の目の前にある虎御前山の砦と雲雀山に陣を張った。そこに朝倉義景の率いる軍勢1万あまりが姿を現し、近隣には本願寺顕如が率いる一向宗門徒の一向一揆軍が結集。将軍義昭の思惑どおり、反信長勢力の包囲網が着々と進行していた。
第34回 『四面楚歌』
1572年(元亀3年)8月、武田信玄の上洛の動きに危機を察した信長は、朝倉・浅井に対する守りを藤吉郎に任せて本隊を岐阜に退いた。そして将軍義昭に十七箇条の意見書を差し出す。一方、武田信玄が率いる3万の軍勢は二俣城を落とした後も家康の浜松城ヘ進攻。浜松城から討って出た家康軍が三方ヶ原で敗れると、将軍義昭は信長討伐を宣言する。
第35回 『足利幕府滅亡』
武田軍の攻勢は続く中、 信長は将軍義昭ヘ和睦の使者を送る。しかし状況は一転。1573年(元亀4年)2月、武田信玄は病に倒れて退却。それを知らず、将軍義昭は立ち上がってしまう。武田軍の脅威がなくなった信長は直ちに京に向けて出陣。御所に火を放ち義昭に和睦を迫る。朝廷の仲立ちで一度は信長と和睦した義昭は再び拳兵する。しかし命運は尽きて無条件降伏。ここに足利幕府は滅亡する。
■DISC.3 (176分)
第36回 『浅井朝倉攻め』
将軍義昭を都から迫放した信長は、浅井長政の近江ヘ侵攻。小谷城の北にある山田山を占拠し、浅井と朝倉の連絡を絶った。一方、余呉・木之本に陣を張った朝倉義景の援軍2万は連絡のない長政を見限り退却を開始。信長は朝倉軍を追撃しながら越前になだれ込んだ。朝倉義景は家臣に裏切られ自害。近江に軍を戻した信長は小谷城を包囲する。
第37回 『天下を取る』
父の浅井久政の自害と朝倉義景の死を知った浅井長政は妻 お市と三人の子供たちを城外ヘ逃す。信長との最後の一戦に臨んだ長政だが万策尽き果てて自害。ついに越前・近江の平定した信長は次第を朝廷に報告し、堺の豪商たちを招いて茶の湯を開いた。戦勝祝いに訪れた朝廷からの使いに、信長は正倉院にある宝物の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」を所望する。ついに信長は天皇までも動かそうとしていた。
第38回 『長篠の戦い』
次なる信長の狙いは一揆勢の殲滅であった。一向宗徒2万人が籠城する伊勢長島城に火をかけ、女子ども逃がすことなく皆殺しにする。1575年(天正3年)4月になると、織田方の拠点を攻撃して徳川家康の浜松近辺まで脅かしていた武田勝頼が三河の長篠城を包囲。直ちに出陣した信長は鉄砲隊を配置。銃弾の前に多くの宿将が倒れ、最強を誇る武田の騎馬軍団は織田・徳川連合軍に完敗する。
第39回 『家督譲与』
1575年(天正3年)夏。長篠で大勝した信長は大軍を引き連れ越前に乗り込み、一向一揆の徹底的な掃討作戦を展開。岐阜に戻った信長は新たな城を安土に築くことを決意して京ヘ上った。朝廷から「従三位権大納言」および「右近衛大将」の官位を授かった信長は天下を司るために隠居し、尾張・美濃の国主と岐阜城主の座を嫡男・信忠に譲る。
■DISC.4 (176分)
第40回 『夢の城』
琵琶湖を望む安土に隠居した信長は家臣たちに「大いなる夢あるように見える城にする」と壮大な築城構想を示した。そのさなか本願寺顕如を支援する足利義昭や毛利輝元、上杉謙信らの不穏な動きを察知。信長は一向一揆軍を石山本願寺に追い込み包囲する。そんな信長を訪ねた宣教師フロイスは新しき夢の教会完成を報告し、九州へと旅立つ。
第41回 『伴天連決行死』
1578年(天正6年)を迎えても石山本願寺の抵抗に手こずっていた信長は、一向一揆の動きを鎮めるためキリシタンの布教を奨励する。そんな折、上杉謙信が世を去り、信長は西へ兵を進めた。その隙に摂津国主・荒木村重が裏切り、高槻城主の高山右近も従った。都のキリシタンを人質に捕らえた信長はオルガティーノ神父とロレンソに高山右近の説得を命じる。
第42回 『悪い噂』
岐阜城下に「信長死去」の噂が広がった。噂の元を探ろうとする家老の林通勝に対して随天は「信長の行いが悪しき噂を生んでいる」と進言する。1579年(天正7年)5月、母るい、なべ、お市、随天らを呼び寄せ、天守閣から天下を望む絶景を披露する信長に岡崎の五徳から手紙が届く。それは岡崎城主の徳川信康と武田勝頼が内通していると読み取れる内容であった。
第43回 『家康の悲劇』
池田恒興は武田勝頼に宛てた徳川信康の書状を入手した。家康は敵か、味方か。それを確かめるため信長は林通勝に証拠の書状を携えて浜松の家康を訪ねるように命じる。岡崎城は御代の築山殿が牛耳っていた。家康は信康を岡崎城から出し大浜城から二俣城へと移し塾居謹慎を命じた。それでも信長の疑いは晴れず、家康は妻の築山殿を殺害。それを知った信康も切腹して果てる。
■DISC.5 (176分)
第44回 『余は神である』
1579年(天正7年)。家臣らの働きで反信長勢は次々に攻略され本願寺顕如は孤立した。信長は安土城内に自らを御神体とした摠見寺を建立。信長の誕生日を大祭とし、領国の者みなに参詣させる掟書を城下に立てるように命じる。自ら神を名乗ろうとする信長に、林通勝は「人は神になれませぬ」と諫言。怒りに震えた信長は自分の胸に小刀を刺し、林を家老職から外す。
第45回 『地球は丸い』
1580年(天正8年)。朝廷の講和勧告により本願寺顕如は去り、石山本願寺は火に包まれ、この世から消え去った。信長は林通勝に続き佐久間信盛を、漫然と過ごしたとして追放。翌春、フロイスは日本の布教活動を視察に来たヴァリニャーノ神父を伴い安土の信長に拝謁する。信長はフロイスらに同行する黒人を初めて見て驚き、献上品の地球儀を前に地球が丸いこと聞かされる。
第46回 『安土山神学校』
安土に神学校(セミナリオ)が完成した。お市から「摠見寺の御本尊となり、人々に拝めと言っているのは人集めのための方便」と本心を言い当てられ、動揺を隠せない信長。随天を呼び出し、摠見寺の話を口外していないか詰問する。傷を負った随天の足が腐っていることに気づいた信長は「古きもの腐らねぱ、新しきものは生まれまい」と言い、随天の足は切り落とされる。
第47回 『全国平定作戦』
信長のもとに滞在していたフロイス、続いてヴァリニャーノ神父が安土を去ることになった。信長は神学校の少年たちと安土城の屏風絵をヴァリニャーノに託す。そのころ羽柴秀吉は鳥取城を攻め、徳川家康は高天神城を落とし、遠江を掌中に収める。そして信長は嫡男・信忠を総大将として甲斐討伐に出陣。 追い詰められた武田勝頼は、妻子とともに自害して、武田家はついに滅亡する。
■DISC.6 (103分)
第48回 『キングオブジパング』
ついに朝廷は信長に将軍職を要請。そんな折、徳川家康が安土に赴くこととなり、明智光秀が馳走役を仰せつかった。家康饗応の最中、光秀は備中高松城を囲んでいる秀吉の援軍を命じられ、さらに近江滋賀と丹波を召し上げられ、新たに敵地の出雲・石見の二国を任すと命じられる。長引く戦いの日々に疲れた光秀の心に、傲慢な信長ヘの敵意が芽生えはじめる。
第49回 『本能寺の変』(最終回)
1582年(天正10年)5月29日、安土を出発し上洛した信長は、本能寺に入った。供は小姓たち2~30人あまりだった。一方、明智光秀は、備中ヘの出陣を待つ家臣たちを前に「これより出陣いたす。軍勢を都に向けて上様を討つ」と告げる。そして「あの者が葬れぱ天下も我らのもの。朝敵を倒して正義の軍勢となるのじゃ」と決意を表明。
1582年(天正10年)6月2日、早朝。信長のいる本能寺に一本の矢が放たれ、光秀の軍勢がなだれ込んだ。信長は弓で応戦するが多勢に無勢で劣勢は明らか。「これまでじゃ。光秀などに余の姿をみせてはならぬ」と、信長は寺に火を放つように命じる。織田家に長く仕えてきた随天は仁王ちして、信長のもとへ進もうとする敵を阻止。「余が最後にできる新しきことは、死ぬことかも知れぬ」と悟った信長は自刃し命を絶つ。大火の跡の本能寺からは信長の姿は見つからなかった。
信長死去の知らせを受けたフロイスは、「あの人らしい。 髪の毛 一本残さぬとは・・・」と、在りし日の信長に思いを馳せた。
【出演】
緒形直人、菊池桃子、高橋惠子、二谷英明、的場浩司、滝田 栄、鷲尾いさ子、若村麻由美、仲村トオル、中山美穂、高木美保、橋爪 淳、杉本哲太、田中 健、本郷功次郎、篠田三郎、マ イケル富岡、郷ひろみ、柴 俊夫、林 隆三、船越英二、宇津井健、芦田伸介、平幹二朗 ほか
原作・脚本:田向正健
音楽:毛利蔵人
○1992年 放送
*DVD6枚組
*収録時間本編983分/カラー
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